本職でボランティア 祭りで復活 石巻5月5日昼

長らく中断しておりました、連載の続きです。


東日本大震災ボランティア活動記録

「本職でボランティア」 



これは一昨年3〜5月に、宮城県石巻市の災害現場でお会いした「過去の災害救援からの経験豊富なボランティア」「さまざまな本職を活かして、被災者に喜ばれる技能・職能ボランティア」のみなさんの活動を、「こんな活動もあるんだ、こんな活動をしている人もいるんだ」ということを多くの方に知ってもらいたいと、大急ぎで本一冊分ぐらいの分量を書き、筆者の関係者にお配りしたものです。とにかく一日でも早く多くの人が読み、被災地にさまざまなプロが駆けつけてくれればという思いで書いたため、内容には筆者の独断や偏見、認識不足や事実誤認も含まれていることをお詫びいたします。また内容はあくまでも二年近く前の当時の状況に基づいて書かれたもので、現状とはずいぶん離れています。当時の様子を知っていただくためにも、ほぼ原文のまま掲載いたします。

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第4章 祭りで復活 石巻

5月5日 祭り当日 2


 

祭りプロジェクト・リーダー・坊主頭のひーささんと、祭り本部詰めスタッフ、四角い巨体・四角い分厚いめがねの「まるお」さんが、本殿裏の斜面で涙を流しながら激論中。推定15分前に一度祭りに関しての何かで、ガッシャーンと正面衝突したらしい(たぶん)。


エネルギーが異常に高まる「お祭り」に喧嘩はつきもの。日本中けんか祭だらけなのは周知の通り。パンチもキックも頭突きもない「強烈な熱を持った話合い」だったので暖かく見守ること15分。(うそ、あれこれ見に行った)ヘッドとボトムのお二人は握手をして、また任務へと帰っていきました。


本殿裏のスペースは、「癒しとすっきりの空間」だ。


本殿から一番遠い側には「日本財団ボランティア・足湯隊テント」十数名が陣取っている。私の第一次石巻遠征二日目から三日間、湊小学校で一緒に活動した時の女性メンバーメンバーも何人か見える。一度帰宅してふたたび参加の「お帰り組」である。ただし、私の記憶メモリーは7:1ぐらいの割合で、選択的に女性の方を記憶するようなので、「お帰り組」にもかかわらず初対面顔で接せられた男性足湯隊員がいたらごめんなさい。


同じテントの本殿に近い側は、我らが整体チームのコーナーだ。「今日の予定は午後から避難所・せめて午前中は祭りに行きます組」が、さっそく整体や足つぼを始めている。


本殿真裏・ひーさ&まるおの静かなバトルの正面では、リラクゼーションチームの美容師組・精鋭4名だ。地面に杭を打ち込んで鏡を取り付けている。きっとミュージシン大工さんのお仕事だろう。おっと、そのミュージシャン大工が、「あっちでもらってきた」と大型の鏡台(ただし泥まみれ)を担いできた。


ずらり4人四角く並んだ美容師の前には、お母さん、おばあちゃんが早くも順番待ちの列を作っている。(ひっくり返したビール箱に座ってね)


吉田くんが、持参したスピーカーで「情熱大陸」をBGMにがんがんかける。ふふふ、これで順番待ちのみなさんは「きっとこの美容師さんたちは都会のカリスマ美容師さんに違いない」と思いこむであろう。


裏をばらすと、被災地入りする直前まではさみを握っていたのは、今日から参加のえびちゃん一号だけである(この三日後に偶然海老沢さんという同姓の美容師が参加したので、彼ら二人の区別を「えびちゃん一号 二号」と表記することにする。ただし。えびちゃん二号と私はすれ違いの活動なので、えびちゃん2号さんがこの後登場する可能性はまずない)


美容師チームただいまのリーダーまいちゃんは、ネパール(たぶん)、わたる君は中国の奥地でそれぞれ東日本大震災の報を聞いて、緊急帰国して後、石巻に駆けつけた「海外駆けつけ組」だ。


北九州から来た理髪師の五島さんは、実は現職は「彫り師」である。刺青屋さんである。18年前の年末、28日にその年の最後の仕事を店長として終えた時に、オーナーから

「おまえ、来年からもう来なくていい。おまえ一人の給料で小僧が二人雇える」


と解雇通告された。


 「腹がたつけぇ、それいらいハサミは握っとらんかった」


そうだが、解雇理由については


「まっ、オレの素行にも、そこそこ問題があったような、ないような、ぐわっはっっっはっは」


という「偽装カリスマ美容師4人組」は、このまま夕方すべてのお店・コーナーが終了した最後の最後までほぼぶっ続けでカットし続けることになる。



本殿の横に回ると、長蛇の列が。本殿から横に伸びているのは山形県(確か)からの「ポン菓子(人によっては爆弾あられともいう)」の炊き出し屋台。


その隣では「め」組メンバーが、ひまわりの苗を配っている。


本殿から参道の石段に向かっているのは、「三人餅つき」&「つきたてお餅であんころ餅ときなこ餅」の炊き出し屋台だ。


南境生活センター・技能ボランティア集団の胃袋と健康管理を一手に支える「生活センターの母」今ちゃん(ふだんは和歌山で考古学だったか化石だったかの発掘のお仕事らしい)が、昨夜せっせとしこんだ「あわもち」はここに合流だ。


境内を越えて石段まで20人はくだらない長蛇の列。


本殿の前には地元「みこし会」が持ち出したおみこしが鎮座され、昨日借りてきた「大指林業センター避難所」太鼓二台は、みこしの前にずどんと置かれている。


本殿にあがる階段には、参拝者がひきもきらない。来る人来る人ちゃんと参拝していかれている。神社は地域の中心だ。だから神社の祭りを復活させて、そこから波紋が広がるように地域再生ができるんじゃないかと考えた、この祭のいわば実行委員長のひーさんの見込みは当たったとはいえないか。地域の人は神社を大切にしている。


本殿をはさんでお餅コーナーの逆側には、子どもがいっぱいだ。神社に落ちている松ぼっくりをボールにした「的当て」がある。松ぼっくりが入った的で、景品が1位2位3位という趣向だ。隣の輪投げにも子どもがいっぱいだ。


向かい合わせに設置されているのが、景品マーケット。南境生活センターで、昨夜せっせとダンボールで看板つくったり折り紙で飾りや景品を作っていた「武蔵野美術大学 今日が最終日、祭が終わったらこのまま帰りますの5人組(」6人だったかな)は、このマーケットの担当だ。


 「チャンバラやるよ〜、チャンバラ大会やるよ〜」と呼び込みお姉さんが歩いてきた。


今時の子どもにチャンバラなんか受けるのかな?と思っていたら、お姉さんの後にはずらり7〜8人の子どもたちがちゃんと二列になって嬉しそうに一緒に練り歩いている。


チャンバラ会場は、輪投げコーナーの向こう側。ふだんはお相撲の土俵だ。子どもたちが頭に紙風船をくっつけて、安全な棒で熱狂してる。


景品コーナーの裏、本殿の左横のスペースはイベント広場。のちほど、ここには芸達者たちがいろいろな舞台を繰り広げることになる。


これで本殿の周りを一回り。本殿前の石段から見下ろすと、一面ががれきの海。大げさでなく見渡す限りのがれきの海。そこだけきれいに片づいた小さな神社の空間に、どんどんどんどん人が押し寄せてくる。


階段のすぐ下の行列は「ボーイスカウトたい焼き隊@子ども店長」だ。まるおさん曰く


「ボランティア中の食生活が偏っているからそう感じるのではなくって、本心から僕の生涯でこんなにおいしい鯛焼きを食べたことはなかったなあ。津田さんもぜひ食べた方がいいよ」


でも10人以上が列になって並んでいるので断念。


まるおさんが守る本部テントの向こうは、どっかの組の親分さんと言っても、10人が10人信じてしまうだろう大貫禄のバブさん率いる「カリフォルニア食堂(何でそう言われているのか不明)」の一揚げ入魂の唐揚げ屋台。今日は地元の山菜も一緒に揚げている。ここはさらに長い行列だ。


お向かいの被災地救援ナースの会「キャンナス」さんがやっている救援物資マーケットに人が群がる。


一人で200食は可能と豪語する、北海道から来た「遠軽おじさん」(整体チームスタッフ間でその名前は鳴り響いていたが、ついにお会いできなかった)の石狩鍋はすでに売り切れ(無料だけど)したらしい。


神社入り口あたりでは、画家の人が即興で祭の絵を書き始めたところだ。


本殿前に戻る。バチを手にする。


「三人突き餅つき」に合わせて、景気づけの太鼓を叩く。もちろんみ〜やんも一緒だ。
 

11時になった。本殿では神事が始まる。


太鼓を控え、静かにする。


ひーささんが「みこし会」のガムテープ表示をつけた若い衆数人と引き合わせてくれた。なぜここに太鼓と笛があるのかの経緯をさくっと説明し、ぜひ地元の人に叩いてもらいたい、吹いてもらいたい旨をお話する。


「小太鼓はないんかあ。」なんて声もあって、ちょっと、なんかその気を感じて嬉しいのである。


石巻ボランティアセンターの中核になっている地元社会福祉協議会の、中堅行動隊長の阿部さんら3人ほどの方々も専修大学から駆けつけて来られた。


 「すっごい人ですね〜」


 阿部さんは、横に座り込んで砂遊びをしている5歳ぐらいの女の子の方を振り返って言った。


 「津田さん、見てみてよ、ここで子どもがお尻をおろして遊んでるでしょ。ほんの少し前までガラスで一杯で。考えられないよ」(実際には東北弁で)


後で聞いた話だが、実は前日のお昼まではここはガラスだらけだった。景品コーナーを担当している武蔵野美大の5人が、昨日の午後から夕方まで、ずっとここのガラスを拾っていたという。危ないからゴム手袋をするようにまるおさんが声をかけると、「それでは細かい破片が取りきれないから」と素手で…。集まったガラス破片は土嚢袋に3袋もあった。武蔵野美大美術大学だと思っていたが、美化大学だったのだ。(冗談)


それにしても、今時の女子大生ってなんてすばらしいんだ。 


話は阿部さんである。今は専修大学のボランティアセンターに詰めきり、時として長靴・雨合羽に身を固め、泥出し部隊やがれき撤去部隊を率いて出撃する行動隊長阿部さんであるが、実は雄勝地区の人である。雄勝地区は石巻市であるが、原発のある女川町の北どなりで、東側に突き出た半島部一帯を指し、「すずり」で有名な地域である。


当然津波の被害を真正面から受け、その中心部の深く切れ込んだ湾内には、湾内に押し寄せた津波が集合して市街地から谷を駆け上がり、町そのものが壊滅している悲しい地域である。


3月10日までは、社会福祉協議会の職員として、寝たきり・独居・痴呆のお年寄りの家などを訪問していた人である。


祭の後で誰かに聞いた話だけれど、おそらく祭の前に阿部さんが大宮神社に来て、あまりに片づいているその光景に泣いていたという。この話は「ないしょだけど」と言って聞いた話だけど、誰に聞いたか忘れたので書いちゃいました。


そのないしょの話を教えてくれた人は、ようするにボランティアたちが、「本当にいいのかな、祭なんかしちゃっていいのかな、お節介じゃないかな、早すぎるんじゃないかな」とか自問自答しながらこぎ着けた祭で、地元の阿部さんが感激して泣いてくれたことが、とても嬉しかったということなのである。
 

あっちこっちの炊き出しを食べ歩きしながら、本当にお祭り気分で歩いていると、


「津田さん、太鼓が始まる!」と呼び戻された。

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【新大阪健康道場からのインフォメーション】

近づいてきました、進化体操3月合宿
3月22日〜24日(一泊二日参加可能)

兵庫県宍粟市一宮町スポニックパーク一宮

http://ameblo.jp/sinkataisou/entry-11483138858.html