笑っていいとも 第一回放送の日

タモリさんの笑っていいともが来年3月で放送終了になるらしい。


30年と聞くと、大学の4年ごろに放送開始したのか。


そういえば、たぶん四回生の大学祭の時の話。何か暴力的な事件が起こったりすると、模擬店各テントでうだっている武道系・格闘技系クラブの学生や体育関係の学部生にスクランブル出動の要請がかかる。


筆者のような軟弱合気道部部員にも出動要請があり、行くと暴走族の集団が教育学部のディスコの運営スタッフにいちゃもんをつけている。


呼ばれていくけど、基本的には「ことをおさめ」に行くのである。流血沙汰になって警察沙汰になって大学祭中止なんてことは避けたいので。だから私なんかよりもはるかに筋肉も血の気も多い方々も、手を出さないで威嚇するにとどまる。専守防衛自衛隊みたいなものであるか。


リーダー格らしいあんちゃんは、とにかく乱闘に持ち込みたいらしく、軽くこぜりあいを起こしては、暴言を吐き散らすというシチュエーション。


地質学科の院生ではないか、と思われる革ジャンに分厚い体格、やたら迫力のある先輩がおひとり、淡々と「お祭りやないか、そんなに事を荒立ててどうするんだ」というようなことを、ぐっと押さえた口調で暴走族集団に語り掛けていた。


なかなか胆力のある先輩のようで、族側も思わず言うことを聞いて、乱闘持ち込み路線を回避するかのような雰囲気になってきた。ら、その先輩、


「仲良くやったらいいじゃないか、友達のWA!」


とポーズ付きでやったものだから、たちまち族のみなさんは「ふざけんな」と逆上し、またまた乱闘になり、筆者は消火器をふりかざすリーダー各のあんちゃんから、左ふとももにローキックされるという暴行を受けた。痛くなかったけど。


ま、そんなふうに大学生対暴走族集団抗争の最中に思わず「ともだちのWA!」が出てくるぐらい(役には立たなかったが)流行っていたということである。


いろいろあってその場は収まったのだった。けれども、そういう族対大学生集団抗争の最中に、おもわずそのセリフが出るほどあの頃は「友達のWA!」というのが流行っていたんだなあ、ということを「いいとも30年で幕」報道でリアルに30年前のあのころを思い出したのであった。


ちなみに、「笑っていいとも」の第一回目の放送のオープニングを覚えている。


そのころはお笑いブームで、お昼のその時間帯は「笑ってる場合ですよ」というお笑いメンバー中心の番組をやっており、学生同士集まってうだうだと誰かの部屋で見てげらげら笑っていたので「なんで絶頂の今に番組を変えないとあかんのん」と思っていたから、どんな番組が始まるのか興味を持って見たみたいである。


で、オープニングでタモリさんはあきらかにガチガチに緊張しており、あきらかに「今、俺がかけているサングラススタイルはお昼番組の視聴者、今目の前にいる観客に受け入れられていない、浮いている」ということを察していたようだった。


それで、そのサングラスの違和感を醸し出している自分を自虐的に、観客に媚びるがごとく「わてでんがなー」と意味不明の大阪のおっさんを演じ、基本的にまったく受けず、なんでこんなレベルの低いギャグでお茶をにごすような人がメインの司会者の番組に、けっこうおもしろかった「笑っている場合ですよ」が席を譲らないといけないんだ」と思ったのだけ覚えている。


しかし、「笑っている場合ですよ」を続行させていたとしても、おそらく1年持たずになくなっていただろうから、30年続いた「笑っていいとも」に方向転換決めた人というのはすごいな。タモリさんもすごいなあ。30年続く番組ってどうよ。