みちのく忙し旅 旧知のみなさまの近況
2011年3〜5月に石巻で出会い、今も石巻で活動される方々とどどどっとお会いしてきたので、その顛末一部始終をダイジェストで書く、個人情報ダダ漏れのみちのく忙し旅を記す。
3日は「満月」で助さんとともにお好み焼きを囲んで「報告会の二次会」。
私の野生の勘はこの日満月が「生ビール200円キャンペーン特売中」ということを無意識に嗅ぎ当てたらしく、助さんは天性のボランティアコーディネーターとして、この場でも「おかわりコーディネーター」と化し、全員のグラスの残量を常に把握し、的確に店員を呼んでは全員分のおかわりを常に促進していたのであった。
そうか、助さんは天性のボランティアコーディネーターなのではなく、こうやって日々無意識に訓練し続けているからいざという時にもすごい動きができるんだ。
やはり、竹とシートで現地の家をさくさくと建ててしまおうというような企画ができる人は、飲み会の席とはいえども常に全体と進行に気を配っているのである。学ぶこと大である。
みなさんそれぞれ終電に間に合うようにお帰りになったのち、道場泊。
翌日、寝過ごす。一時間遅れで12時前に福島の郡山着。
はからめのよしこちゃんと匠君と再開。はからめランドから、車で3時間走って駆けつけてくれました。ありがとうございます。おまけに銀河のほとりのめちゃめちゃおいしく、手がかかって心のこもった玄米菜食弁当をごちそうになり、福島再生フォーラムに参加。
1日に微生物による除染実験地域を視察された福井の徳庄さんと合流。たしかに周りの地域よりも線量が下がっているのは事実だとのこと。
シンポジウム自体は微生物除染にかかわる時間が予想よりもずっと少ない。ので高嶋研究所の「詳しい人」を徳庄さんから紹介してもらってぱぱっと話を聞く。
「流れとしては、これからは冬になるので低温・降雪などで微生物実験には適さなくなる(液肥や水などを撒いたりしているしね)ので、3月から夏に向けてが次の本番だ。今七分の一ぐらいに下がっているという実験結果が出ているけれども、もっともっと下がるはずだ。はっきり言うとまだまだ不満だ。
納得のいく数値を出せば、その数値を出すまでの記録を再現すれば成功するストーリーが描ける、それが来年の夏です」(津田の意訳)
というようなことを言っておられた。ので、この「微生物による放射線量低減」問題に関しては来春までは大きく変化するということがなさそうなので、津田の中では4か月棚上げ。ということになりました。
春から、さらにいいデータが出るのであれば、それから動いても遅くない。本体が動かないんだから。そういうことになりました。
ということで、またまたはからめのお二人に駅まで送ってもらって、予定より1時間遅れで石巻へ8時着。
カーシェアリングの仕掛け人にして、オープンジャパンの現代表のタケちゃんにお迎えに来ていただいて、初めての新しいベースへ。
二人でひっそりしていたら、まなみちゃんがドバっと入ってきて、ずかずかとテーブル中に所狭しと並べたキャンドルに火をともして「震災後1000日」をキャンドルナイトで追悼。
そうこうしているうちに砕石現場で一日20時間働いている萬代さん、ばんちゃんがおほおほとやってきて情熱的に語り合う。そうこうしていると、まなみちゃんと打ち合わせの続きがある地元の八幡屋の阿部さんが来られてキャンドルを囲んでみなで語る。
タケちゃんが風呂に行ってしまった後で、広部くん(応援もなかの代表)がへろへろと登場。「時間がないので20分だけ」と整体の口火を切る。ひろべーはきわめて感度がいいようで、10分少々の整体で極度の軟体動物化してしまい、20分だけのはずが打ち合わせに帰らなければならないのに、ろうそくの横で1時間とろけていました。
それを見た八幡屋の阿部さんが「実は吐きたいぐらいに背中がつらかった」などとおっしゃるので、これまたせっせと軟体化してとろかす。楽になったとおっしゃるので、明日の昼食を食べに行きますねと空手形を出してしまった。(行けなかった…悲しい)
それを見ていた萬ちゃんが「ずつは、肩が上がんねぇんだ」ということで萬ちゃんを整体。前向きのお手上げ状態、万歳三唱自由自在になったので終了。
「これからまだ現場だ」(採石場)
なんでも、その石・岩が女川の堤防だかなんだかの基礎になっているらしい。
なんてところに、先日加古川で接近遭遇していたことが明らかになったビッグアップ石巻の(以前はアモーレ石巻だった)原田豊さんが、謎のユダヤ系アメリカ人(と本人が言った)ボランティアを連れて来場。
お二人をとろかせて、旧交を温め。国際親善を果たし、日本身体文化を体感してもらって、次に左腰に違和感があることがわかったまなみちゃんを整体。
そうこうしていると、このあいだまでJENで、人事異動を拒否ってそのままやめて石巻に残った西村さん、彼女は2011年4月当時、私がテレビカメラ・テレビマンを見つけると視線と悪臭と悪口で戦闘をしかけていたころを良く知る人物である。結婚をしたのだけれども、一人で石巻にいるという良く訳が分からないような理解できないこともないような状況の彼女である。
で西村さんが「津田さんも知っているひとを連れてきました」と当時の協議会でよくお会いしていた伊東さんがちょっとふっくらして、あのころよりもやや硬くなった体で来られたので整体、次いで謎のアメリカ人のインタビューを終えた西村さんも整体。
で風呂から帰ってきて、また事務仕事の続きをやっていて、事務室からふらふらと出てきたタケちゃんを捕まえてお休み整体をして、これで本日の業務は終了。1時半就寝。
ちなみに、私の記憶の中では腰痛のある黒澤親分も顔をだされる予定が急用でなしに。同じく石巻に出張るわといっていた富士子さんも結局来れず。ただし、富士子さんは12月16日に和歌山の海南市のCaféの「あわたま」でミニお話会をされるので、その前日に整体の予約が入っておりますので代行が聞きます。
協議会のスタッフしていたタイマッサージのなべちゃんは、本業の「コンサートスタッフ・音響マン」でツアーの真っ最中で「またの機会にねー」という状況。整体チームのもっとも長期間リーダーをつとめられた今野さんは、お豆腐屋さんで元気に働いておられるとのこと。