3.11 スマイルシード黄本さんお話会を1月10日に道場で

3.11からもうすぐ3年

「その時、それから、今、これから」

宮城県NPO法人「スマイルシード」代表、黄本富士子さんをお招きしてのお話会。


日時 1月10日19時
場所 新大阪健康道場
   大阪市淀川区西中島4丁目2−8
   YS新大阪ビル 301 

参加費 お志をスマイルシードさんの活動にカンパ



【黄本富士子さん】


最大の被災者を出した宮城県石巻市出身。
3・11その時には仙台で「自然な素材でエステ」の会社を経営。
若い時の大病で、自然農法や自然な食事などに傾倒。被災前にはオーガニックエステの会社を経営していた。


被災直後から「とりあえずの握れる限りのおにぎりと手に入る限りの水」を車に積み石巻、女川へ。つきあいのあった学生や仲間を引っ張って連日連夜可能な限りの支援を開始。その活動はふるさと石巻市にかかわらず近隣各地に及ぶ。
その活動の延長でNPO「スマイルシード」として立ち上げる。


被災地に笑顔の種を蒔こう!からスタートし、経過とともに「被災地にこそ、花が緑が木が森が必要」と「千年の森」づくりに柱の一つを置く。


キャッチフレーズだけを聞けば、被災者救援支援団体ではない平時の団体のようなにも聞こえないこともない。しかし、その背景には3・11直後の「修羅場」をくぐりぬけ、地元の人間だからこその苦悩や懊悩があった。


「笑顔を届けるのが先!」と東奔西走の二年半を経て、ある被災地救援の大先輩に言われた一言。


「これからも必ず起こる大災害の日本だから。あなたが伝える必要のあること、あなただから伝えられることを伝えていく、話していく時期が来ているのじゃないか」


そして昨年後半から「その時」「これから」を語り始めた富士子さん。


節目にしか報道されない被災地。関西の日常からは忘れ去られたような東北。もう一度「あの日の東北」を語っていただき、今何ができるのかを知り、これから何をする必要があるのかを考える一日にしていきたいと思います。

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この日、ちょうど関西に来ている北海道釧路川のほとり、カヌーガイドステーション「わっか」代表のがってんさんも参加が決まっています。2011年3月後半から4月、石巻でともに活動しました。マイナス10度の岩手県に入り、野宿!!しながら救援活動を始めたとお聞きしています。


木名瀬 裕 Hiroshi Kinase / わっか代表


87年ヨーロッパより帰国後、自由の森学園高等学校卒業
88年から然別・知床・信州などで、フリーランスのガイドとして出入りし、でっち奉公にいそしむ。
95年阪神淡路大震災の復興に3ヶ月携わり、夢に向って行動する事の大切さを確認。仲間と共にカヌートレックの事務所を立ち上げる。
96年5月より釧路川を中心に、人の暮らしと自然のリズムの距離を縮まる事を願い、[VOICE OF WIND]が動き出す。 多い年は年間100日に及ぶキャンプツアーを展開する。
04年4月、1人1人の輪が宇宙の未来に届くよね。そんな思いで「ガイドステーション”わっか”」を立ち上げる。
2011年は東日本大震災があり、3月14日より復興支援のため被災地へ。以後、2013年3月までの2年間に12回の被災地入りを始めとする、さまざまな支援活動を続けている。