道場内ホワイトボード写真展 明神社のまつり

東北で活動していた2011年の4月、陸前高田社協でお話しを伺っていた時に、観光気分で写真を撮られることの、地元の人の心の痛みを伺った。それまでもあまり写真は撮っていなかったが、これ以後まったく撮らなくなり、整体チームでも基本的に止めておきましょう、ということにしていた。

5月のお祭りの時の写真のデータを丸尾さんが送ってくれていた。これが唯一の「まとまった活動記録現場と活動の写真記録」です。


3年目のその日を迎えるにあたり、新大阪健康道場に通われるみなさんにも、活動報告および防災減災意識を高めていただくために、ごく一部の写真だけれども5月5日の渡波の神社のお祭り当日の写真を、展示しています。

以下は、写真に添えた文章です。

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2011年宮城県石巻市 
 5月5日 渡波明神社(わたのはみょうじんしゃ) 
 地元の人とボランティアが一緒に奇跡的に復活させた
がれきしかない中の神社の「祭り」


これは2011年の宮城県石巻市です。市町村別で言えば、最大の死者・行方不明者を出した街です。



ここ渡波地区も海に近いところです。明神社というこの神社にも当日数百人の人が逃げ込みました。周辺よりもほんの少し高い神社。津波は逃げ込んだ人の足元を洗いましたが、その高さで多くの人の命を救ったそうです。


一か月以上たっても、周辺も神社もほとんど片付きませんでした。毎年5月5日はお祭りだったのですが、宮司さんも今年は無理だとあきらめていました。神社の清掃に入っていたボランティアが動きました。祭を復活させることで、地域の人を少し元気にできるかもしれない。


多くの人や団体が動きました。多くの屋台・夜店がわりにから揚げ、たい焼き、餅つき、おでんなどの炊き出しや、支援物資の配布所、津田もかかわった青空美容室と青空整体や足湯、子ども向きのゲームやチャンバラコーナーなど。


ボランティアセンターの阿部さんは、当日の朝、祭りを見に来て泣いてしまいました。前日までガラスの破片だらけだった境内で、子どもがお尻を下して遊んでいたからです。数日前までボランティアも地元の人も「ほんとうにこれで祭ができるのか」という状況だったのが、見事に片付いていました。


神戸の吉田君、宮本君もこの時一緒に活動。前日に行った避難所にあった獅子舞用の太鼓をお借りして設置。地元の人が叩きました。



祭りだからコスプレで行きましょう、と整体チームスタッフに無理やりAKB衣装を着せられた津田でした。



今年の5月3,4日は東京での講習会です。そのまま東北へ行き、この日から3年後の5月5日のこの祭りをできれば見てこようと思います。


【追伸】

この時の祭りプロジェクトのリーダー、その後もずっとかかわっているひーさんからのコメント

↓ここから

先日、地元の方々と、祭りの打ち合わせしました。流されてしまった法被を今年は新たに50着作るそうですよ。しかしながら、担ぎ手不足で、神輿は、一基のみの運行。半数は、ボランティアの人数が含まれておりあす。いつの日か地元の方々で、以前のように子供神輿も、たくさん出る祭りが、できればいいですね。