24日の記事をうけてあれこれと

治体で一日分の食料備蓄というのは、避難所収容想定人数の一日分だけのことですよ、というブログ記事をシェアしてくれた兄弟弟子の採澤くんのファイスブックで、活発に意見交換がありました。とりあえず、自分の発言だけ引っ張り出しました。意味不明な部分はさらっと流して、必要なところだけ取ってくださいねー。

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○Kさん。はじめまして。一般家庭にはふだんから備蓄がけっこうあるというのはその通りだと思います。ただし、オール電化のおうちなら、実際調理ができない食材がたくさんあったり、冷凍食品が主体なら夏場ならすぐに食べないと痛みます。実際に備蓄を意識して少しずつ準備していくことで、不足しているものが明らかになるというのが今の私が感じていることです。自宅はそこそこ備えつつありますが、昼間ずっといることが多い新大阪の道場ではガス電気が止まれば、調理道具もお湯もありません。だからとりあえずコンロを買いました。燃料も買いました。


○和歌山の自宅。津波で家が流されなくても、あっという間に商店から商品が消え、道路も寸断されていたら、物流も止まって補給されてこず、やはり食うに困る事態なんて容易に起こりうるなー、という環境で生活をしていることが実感されてきた今日この頃です。


南海トラフと行政の対策の現状を調べていくほど、人を助けに行く前に自分と家族をどう安全に生き残らせて、生活が困らないようにする準備だけでも結構大変だー、ということが今日の会議でより明確になりました。

行政の備蓄一日分はけっこう少ないぞの話は、なんとなく行政が備蓄しているらしいから、いざというときにはそれがあてになると考えたら大間違いやでーというぐらいの意味です。


防災対策室にお話しを伺いにいったのは、そういうシビアな震災やら津波やらの情報がどこよりも集まる部署だから、市民以上に危機意識をもっていろいろ考えているだろうと思ったからです。だからそのお話を聞かせてもらっているこの瞬間に東日本なみのマグネチュードの地震が来て、大津波警報が来たら、対策室のみなさんおよび行政職員の皆様は具体的にどう動かれるのですか、その時、市民にはどう動いてほしいと念願しているのか、というリアルな話を聞かせてくださいとお願いしたのです。


すると結果として、東日本大震災のマグネチュードよりずいぶん低く見積もった3年以上前からのマニュアル(防災計画)にしたがってやるてことになるんですよねー、そうですねーと職員同士でその場でなんとなく確認しあっているという感じでした。正確を期したのか、シミュレーションしていなかったのかは不明。

うがった見方かもしれませんが、私が退室したあとには、「今のクレーマーは何ものなの」というような会話が交わされたかもしれないなというかみ合わない雰囲気でした。(笑)。あくまで推定です。市役所の方々はそんな方々ではない可能性が高いのですが。私はひねくれているもので。


もちろん行政の方も手をこまねいているわけではなく、現在和歌山県が新しい基準で被害想定の見直しをしていて、それが近々出るので、それに応じて防災計画を練り直すという現状だそうです。


ボランティアとして起こってから助けに行くという以上に、もっと自分の身を守るということをリアルに考えないといけないというのが、火曜日の会議の準備を進める中で痛感したことでした。


停電したら、マンションのオートロックはしまったまま開かなくなるのか、どうなのか。大規模停電になったらネットは使えるのか、スマホは使えるのか、PHSなら使えたという情報はほんとなのか、そういったことを会議の参加者で順次確認していくべ、ということにもなりました。ちなみにオートロックは「地震」の際には古いものは自動的に開き。新しいものは電池内蔵なのでしばらく使えるらしいとさきほど報告が入りました。それは地震の場合なので、停電の場合はまだ分かっていません。


○いやー、なんにしても拙文を話題に論議が交わされていることに感謝ですねー。Gさん、私は尼崎→伊丹市民で阪神被災→和歌山に引っ越して8年ほどです。採澤君とは一緒に3月4月東北で整体ボランティアで回りました。彼とは戦友です。


○Kさん、ボランティアと個人の備蓄の話が混在しているとご指摘ですが、まったくその通りです。比較的初動で活動する団体の方々とお付き合いがあり、少々の被災地活動経験があります。今までは自分の都合で自分の準備で活動に行く側だったのですが、いざ自分の日常範囲に備蓄ないし救援用備品の準備を始めてみると、少々の準備では足らないので救援にいくどころではないとなってきたのです。


だから私自身が今混乱しているのです。
私のブログは被災地救援活動で知り合った人たちと、私自身の道場に整体や体操を学びに来られている人たちを読者として想定しています。ブログで書いたことを、道場で口頭でフォローしたりできます。だから、書き方は必ずしもきちんと整理されたものではありません。


○Gさん、今現在備蓄について感じていることは、あのブログのここ何回かに書いているのでご参考にお読みください。書いてたかな?メルマガに書いたか。


災害についての備えに関しては、水一本買うだけでいいからとりあえず始めましょうと。水一本しか備蓄がないということを実感すると二本目を買いたくなったり、食料を買いたくなったりします。いかにも非常食というものばかりが集まったら、日常で消費できるものを取り込もうとしたりします。防災に対するノウハウを「知っている、けどやっていない」よりも「よくしらないけれどもやりだしたら見えて来た」ということの方が使いものになります。私が今私の整体道場に来られている方々に発信しているのはそういうことです。


今、南海トラフ津波が来たらと思っていろいろ用意し始めたら、いやいやふだんに火災があるかもしれないやんか、消火器だっているかなと思い始めました。そんなふうに見える景色が変わってきます。


備蓄にしても備えにしても、個人個人で置かれている状況はまったく違いますから、ご自分で着手されてご自分の環境、状況に合わせて対応させていく。まとめ買いして終わり、というのはお勧めしません。足りなくてもいいからはじめて、自分で気づいたことを足していく、変えていく。そういう生きた状態にするのが大事だと感じています。


そして、もう一つ。私は個人事業者なので、仕事のペースは自分の活動次第なのです。繁盛するのもすたれるのも自由自在です(笑)。というか、ちょっと手を抜くとまたたくまに食えなくなります。


防災の準備をするということは、自分の近い将来が不確定であり、また宝くじに当たって(買わないけど)左団扇で暮らす可能性よりも、予期しない災厄で計画が破たんする可能性の方がはるかに高いということがリアルに迫ってきます。なので自分が被害者になる想定をした方が、本業の事業計画のようなものを実行する速度が確実に上がってきているということです。これも実際にやり始めないと分からなかったことです。こうやって防災関係の情報発信をすることで、仕事に対する感覚がシビアになってくるんです。仕事にプラスになるし、災害救援仲間には「おーい、今こんな感じやでー」という挨拶?にもなっておりのです。


○Gさん、備蓄というより備えですかね。今わが家では自宅和歌山、実家尼崎、母一人、長男宝塚、長女は百万遍。京都です。いざという時に、それぞれがどう動くかなんて打ち合わせが始まりました。安否確認だけで3日過ぎたなんていやなので。長男には実家に走れと言っていますが、彼が三田キャンパスにいると、尼崎まではすぐに行けません。じゃあどないすんねん、なんていう詰め切れないことだらけです。

ちなみに、採澤君とは、彼が運転して三陸自動車道を100キロで真夜中に走っていたら、そこに最大余震深度6が襲ってきた、びびりまくりながら道路わきに徐行したなんて一歩間違うと心中していた仲です。女川の4階建てのビルの上に自動車がひっかかっているのを被災地入り二日目に二人で見て、ショックを受け、チョコレートを貪り食いながらボランティア宿舎に帰ったという仲です。世の中想像もつかないことが容易に起こるということの回路が、津田と採澤君の間ではずいぶん広がっておるのです。