ゆめ風基金さんにお話しを伺う

ゆめ風基金さんにて大規模災害時の障がい者の状況、避難対応などについてお話を伺う。

聞き手 BON 中島武
語り手 ゆめ風基金 事務局長 橘高さん
筆記  BON 津田啓史(オープンジャパン)

【ゆめ風基金について】

http://yumekaze.in.coocan.jp/


もともと阪神大震災を機に発足した被災障がい者支援の認定NPO永六輔さんや小室等さんなどが呼びかけ人となって、基金をつくりいざという時の被災障がい者支援をしようとされている団体。大きな基金を作って、いつかくる大規模災害に備えようとされていたら、あまりにも早く東日本大震災という「その時」が来てしまった。被災一週間後から仙台を拠点に、東北各地で障がい者支援活動を行い今日に至る。

【BONとのご縁】

石巻の「移送支援レラ」さんが招かれて、大阪でゆめ風基金主催出行われた「災害時の障がい者の移送問題」のシンポジウムに津田が参加してゆめ風さんのことを知る。もともと介護タクシーの会社をやろうとしていた武ちゃんが、災害時の障がい者や要介護者をどうすればいいのかと調べ始めたことから、今回の訪問に至る

・・・・・・・・・・

福祉避難所という考え方がある。福祉施設を避難所とする方法で、事前に自治体と協定を結んでいざという時に障がい者や高齢者が入れるようにという考え方だ。しかし実際には福祉施設は現状でも利用者で一杯で、いざという時には現在の利用者の対応で精いっぱいではないかと予想できるし、また大規模災害時に、通常の職員が施設に来られるのかというような問題も考えられる。

そこでゆめ風さんでは、地域の避難所で、障がい者や要介護者が受け入れられるような仕組み、そういう避難所づくりをしてほしいと提言している。

地域にもよるだろうが、地域のだいたい5%ぐらいの人が一人では避難所に行けないなんらかの障害をもった人であろうと予想される。そういう方々のおられることを事前に想定し、対象者を5人ぐらいで、事前にチームを組んで避難させるというようなプラン。そういうまず「避難プラン」がある。


実際には難しいだろうが、石巻などで話を聞くとうまくいったケースとそうでないケースがあったが、地域の取り組みとして、進んでいけばと思っている。そうした取り組みも始まっている。


体育館のようなオープンスペースでは、やはり障がい者もまったく同じ扱いというのはむずかしい。たとえば聞きなれない人にとっては「奇声」に聞こえる声を上げる子どもだったり、ねたきりだったり、車いすだったり。だけどたとえば学校には保健室や特別教室などの小規模なスペースもある。そういう部屋やスペースをつかって柔軟に対応できるのではないかと提言し


だからたまたまその避難所の運営スタッフ、責任者の人が要介護者、障がい者の対応がすごくむずかしい、しかし重要だということを理解し認識している人が担当だったりすると、そういう取り組みができる。


石巻地球村という避難所ではそういういい対応ができたケースだった。たとえばトイレに近い個室をそういう要介護者などのスペースとして確保するようなことを配慮できた。

しかし、うまくいかずに避難所から出てほしいと言われるような状況の避難所があったのも事実である。

自治体の避難所マニュアルがあるはずだ。だからそのマニュアル自体に、そこに要介護者や障がい者などの対応を考えたものが盛り込まれるようになれば一つ事態は前に進む。現状では、おそらく自治体ごとでそのあたりの対応は、かなりの地域差があることが予想される。BONさんで各自治体にいろいろな聞き取り現状調査する際には、そのあたりも含めてを確認されるといいと思います。実態がどうなのか、対応がどうなのか。

実際には、障がい児の親御さんなどは、避難所をはなから遠慮して自動車の中で避難活動されたりしていた。だからちゃんと対応できる福祉避難所があればいいが事態はそう単純ではない。ケースケースでの細かい対応が必要なので、やはり地域地域で事前に地元での対応を練っているというのが次善の策だと考えられる。

大阪市城東区で地域を歩いて実態調査をしたことがあります。すると地域地域の老人いこいの家みたいなスペースがあります。そういうところを事前に災害時には、福祉避難所として有効活用してはどうか。歩いてみると、そういう使えそうなスペースというのはなくはない。

ただしそれにしても。それぞれの地元の人が行政とともに入って事前に考えて、その時の対応を準備していく必要がある。行政の理解支援を得たうえでの地元の活動。そういう小規模の福祉避難所の設置を大阪市城東区で提言した。


東日本大震災で、スタッフが障がい者の避難者がいないか避難所に行って聞く。すると「いません」と返事が返ってくるわけです。ところがたとえば「障がい者車いす」みたいなイメージがあって、それで「いません」という返事になっていたりする。知的障がい者、多動なこどもなどなど、障がい者の対象は実は広い。助けが必要な人はたくさんいる。ふだんの生活では、そういう障がい者と出会っていたり、交流したりしていることがない場合、わからない。なので「いません」という返事が返ってきてしまうという実際があった。


そういう大規模災害時に、災害救援の経験のある人や団体の活動があって、「機能する人のつながり」があるのとないのとでは全然違いが出ると思う。


・・・・この後は中島・津田の東日本以後の仲間たちの活動などをご説明

【取材を終えて】

BONの活動初期に(といっても3月の話ですが)災害時に共動するための連絡方法確立をどうしましょうか、からスタートしました。すると活動するも何も、自分と家族の安全と当座の生活の安全が確保できていること、あるいは安全が確認できていること、これができてないと活動もへったくれもない、という事実に突き当たりました。


今回大規模災害の際の障がい者の方への対応という介護タクシー会社を作ろうと準備している時に東日本大震災にいきあたった武ちゃんならではの危機感からの取材でしたが、やはり平時の間に対策、対応策、仕組みづくり、シビアなシミュレーションや訓練などをしてないとどうしようもない、ということが分かりました。

解決策はありません。ひたすら改善策、対策を実際に実行して修正しながら積み上げていくしかないということでした。


※おおよそお話しした内容や方向性を速記録をもとに再構成したものです。細かい表現の拙さや誤解が生じたとした場合は、筆記者の責によるものです。


ゆめ風基金さんにて大規模災害時の障がい者の状況、避難対応などについてお話を伺う。

聞き手 BON 中島武
語り手 ゆめ風基金 事務局長 橘高さん
筆記  BON 津田啓史(オープンジャパン)

【ゆめ風基金について】

http://yumekaze.in.coocan.jp/


もともと阪神大震災を機に発足した被災障がい者支援の認定NPO永六輔さんや小室等さんなどが呼びかけ人となって、基金をつくりいざという時の被災障がい者支援をしようとされている団体。大きな基金を作って、いつかくる大規模災害に備えようとされていたら、あまりにも早く東日本大震災という「その時」が来てしまった。被災一週間後から仙台を拠点に、東北各地で障がい者支援活動を行い今日に至る。

【BONとのご縁】

石巻の「移送支援レラ」さんが招かれて、大阪でゆめ風基金主催出行われた「災害時の障がい者の移送問題」のシンポジウムに津田が参加してゆめ風さんのことを知る。もともと介護タクシーの会社をやろうとしていた武ちゃんが、災害時の障がい者や要介護者をどうすればいいのかと調べ始めたことから、今回の訪問に至る

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福祉避難所という考え方がある。福祉施設を避難所とする方法で、事前に自治体と協定を結んでいざという時に障がい者や高齢者が入れるようにという考え方だ。しかし実際には福祉施設は現状でも利用者で一杯で、いざという時には現在の利用者の対応で精いっぱいではないかと予想できるし、また大規模災害時に、通常の職員が施設に来られるのかというような問題も考えられる。

そこでゆめ風さんでは、地域の避難所で、障がい者や要介護者が受け入れられるような仕組み、そういう避難所づくりをしてほしいと提言している。

地域にもよるだろうが、地域のだいたい5%ぐらいの人が一人では避難所に行けないなんらかの障害をもった人であろうと予想される。そういう方々のおられることを事前に想定し、対象者を5人ぐらいで、事前にチームを組んで避難させるというようなプラン。そういうまず「避難プラン」がある。


実際には難しいだろうが、石巻などで話を聞くとうまくいったケースとそうでないケースがあったが、地域の取り組みとして、進んでいけばと思っている。そうした取り組みも始まっている。


体育館のようなオープンスペースでは、やはり障がい者もまったく同じ扱いというのはむずかしい。たとえば聞きなれない人にとっては「奇声」に聞こえる声を上げる子どもだったり、ねたきりだったり、車いすだったり。だけどたとえば学校には保健室や特別教室などの小規模なスペースもある。そういう部屋やスペースをつかって柔軟に対応できるのではないかと提言し


だからたまたまその避難所の運営スタッフ、責任者の人が要介護者、障がい者の対応がすごくむずかしい、しかし重要だということを理解し認識している人が担当だったりすると、そういう取り組みができる。


石巻地球村という避難所ではそういういい対応ができたケースだった。たとえばトイレに近い個室をそういう要介護者などのスペースとして確保するようなことを配慮できた。

しかし、うまくいかずに避難所から出てほしいと言われるような状況の避難所があったのも事実である。

自治体の避難所マニュアルがあるはずだ。だからそのマニュアル自体に、そこに要介護者や障がい者などの対応を考えたものが盛り込まれるようになれば一つ事態は前に進む。現状では、おそらく自治体ごとでそのあたりの対応は、かなりの地域差があることが予想される。BONさんで各自治体にいろいろな聞き取り現状調査する際には、そのあたりも含めてを確認されるといいと思います。実態がどうなのか、対応がどうなのか。

実際には、障がい児の親御さんなどは、避難所をはなから遠慮して自動車の中で避難活動されたりしていた。だからちゃんと対応できる福祉避難所があればいいが事態はそう単純ではない。ケースケースでの細かい対応が必要なので、やはり地域地域で事前に地元での対応を練っているというのが次善の策だと考えられる。

大阪市城東区で地域を歩いて実態調査をしたことがあります。すると地域地域の老人いこいの家みたいなスペースがあります。そういうところを事前に災害時には、福祉避難所として有効活用してはどうか。歩いてみると、そういう使えそうなスペースというのはなくはない。

ただしそれにしても。それぞれの地元の人が行政とともに入って事前に考えて、その時の対応を準備していく必要がある。行政の理解支援を得たうえでの地元の活動。そういう小規模の福祉避難所の設置を大阪市城東区で提言した。


東日本大震災で、スタッフが障がい者の避難者がいないか避難所に行って聞く。すると「いません」と返事が返ってくるわけです。ところがたとえば「障がい者車いす」みたいなイメージがあって、それで「いません」という返事になっていたりする。知的障がい者、多動なこどもなどなど、障がい者の対象は実は広い。助けが必要な人はたくさんいる。ふだんの生活では、そういう障がい者と出会っていたり、交流したりしていることがない場合、わからない。なので「いません」という返事が返ってきてしまうという実際があった。


そういう大規模災害時に、災害救援の経験のある人や団体の活動があって、「機能する人のつながり」があるのとないのとでは全然違いが出ると思う。


・・・・この後は中島・津田の東日本以後の仲間たちの活動などをご説明

【取材を終えて】

BONの活動初期に(といっても3月の話ですが)災害時に共動するための連絡方法確立をどうしましょうか、からスタートしました。すると活動するも何も、自分と家族の安全と当座の生活の安全が確保できていること、あるいは安全が確認できていること、これができてないと活動もへったくれもない、という事実に突き当たりました。


今回大規模災害の際の障がい者の方への対応という介護タクシー会社を作ろうと準備している時に東日本大震災にいきあたった武ちゃんならではの危機感からの取材でしたが、やはり平時の間に対策、対応策、仕組みづくり、シビアなシミュレーションや訓練などをしてないとどうしようもない、ということが分かりました。

解決策はありません。ひたすら改善策、対策を実際に実行して修正しながら積み上げていくしかないということでした。


※おおよそお話しした内容や方向性を速記録をもとに再構成したものです。細かい表現の拙さや誤解が生じたとした場合は、筆記者の責によるものです。