殺されないことと学ぶこと

静岡の袋井市で東海初の進化体操講習会。


主催してくださったのは、震災の整体ボランティアチームでともに活動した花ちゃん。駅に迎えに来てくれたのも、同じく石巻で一緒だった柔道整骨のふかちゃん。ちなみに会場を提供してくださった野草社の社長さんは河野先生の20数年前からのお知り合いだった。


マッサージだとか柔道整骨だとかの本職や本職よりの人が大半で、一般の方が少しという参加者の構成。時間ぎりぎりに飛び込んだもので、自己紹介もそこそこに実技に突入したせいか、滑り出しは少々硬め。人によってタイミングはちがうけれども、言われた通りに素直にやっていく人は、自分の中からびっくりするぐらいの動きが出て、どんどん明るい場になる。


でも受け方も人それぞれなので、中には見事なまでにこちらの言うことをそのまま聞かず、自分の考えていることを自己流でやって、周りの人とも見本の私の動きとも似ても似つかぬ動きをしながら、少しも気持ちよくならないという人がいて楽しかった。


そりゃそうでしょう。例えて言うなら「この料理は少しずつ塩を足しながら少し薄味がついたところで食べてください」とこちらは言っているのに、白いから同じと思っているのか、小麦粉をかけて「少しも美味しくない」と言っているようなもんだから。


この方はこの方の「思い通りの人生」を生きてらっしゃるんだから、こちらがとやかく言う筋合いではない。進化体操は「思ってもみなかった自分の動きや振る舞いや行動」に出会うための体操です。


なんにしても「思い」はじゃま。「自分の考え」はじゃま。人を見ているとよくわかる。それがあると相手からいい影響が受け取れない。それをきっかけにして変われない。


昨日「なんで日野先生のところのワークはこんなに難しいねん、ほとんど誰もできないことを講習されるのだろう」ということの背景に「生命のかかった武術からスタートしているからだ」ということが(知っていたけど)腑に落ちたということを書いた。


その目で「思い通りに生きている方」を見てみたら、恐ろしいまでに隙だらけだった。相手が目の前にいるのに、マイペースで自分の思っていることの世界に浸っていたら、これは武術的には殺し放題。


なるほどね。誰も危害を加えに来ないからマイペースで自分の世界に浸れるわけだ。学べるという立ち位置と、殺されないという立ち位置は同じなんだ。うん、私の中では一致した。


結果、自分は成長したい、とかしたと思うとか言う言葉に違和感。それは自分が言うこっちゃない、相手が感じることだわ。