自意識低下作戦はゲリラ戦なのだ

人は意識では動いていません。もちろん意識としてはそんなこと認めたくありません。自分が主役だと思い込んでいたのに、いきなり脇役に降格です。自分が社長だと思っていたのに、いきなり解任されるようなものです。


しかし、状況証拠を集めて並べて眺め、犯行時のアリバイ(笑)を調べてみると、人は意識に主導されていないと仮定した方がはるかにつじつまが合います。あるいは意識に主導させないほうがうまくいく場合が多い、と受け取っていただいてもいい。


だから読者のみなさんも、できるだけはやく「意識・意思・精神力主導説」に見切りをつけられた方がいい。むずかしいけど。ですので、私もこりずに繰り返し繰り返し呼びかけます。少し減らすだけでも楽になる度合いはずいぶん違いますから。


本当に意識・意思・精神力で自分の行動を制御、コントロールしているのだとしたら、とっくにもっともっと思い通りの人生を歩んでいるでしょう。ところが思ったようにはいかないことの方が圧倒的に多い。


しかし、「意識主導説」を根幹に据えている限り、うまくいかないのは意識が悪いということになってしまう。「意識づけが弱い、意思が弱い、精神力が足りない、根性がない」ということになってしまうのです。


大事な試合の大事な場面でコチンコチンになって失敗する。うまくやろうと意識するほどうまくいかない体験など山のようにしているはずです。


ところがですね。ここまでを読まれて「そうだ!俺は私は今日から『脱・意識主導』をするぞ!」と決心されたとしても、それそのものが意識で身体をコントロールしようという図式そのものだというところが厄介なのですね。


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とろける整体入門ブログ
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だから、こうやってついうっかり意識や精神力を自己の方向づけに持ち込まないように、そっと行動を「意識にたよらない、身体智寄りのもの」にこっそりと置き換わるように仕向けていく。意識に悟られないように、じわじわ手を打っていくゲリラ戦です。意識は使わないようにするのですが、そのために知恵を絞るには必要なのです。