結果よりも手ごたえをねつ造する脳

道場でよくやるテストですが、空手家が瓦や氷柱や板を割るような手刀を振り下ろす動作がありますね。格闘技練習用のクッション性の強い大きなミットを人に差し出してもらい、それを割るように腕を振り下ろすという実験をやります。


そして、空手家のように大きく振りかぶって全体重を拳に乗せるように全力で振り下ろす。当然ミットは動き、その持ち手にはショックが伝わります。


ところが、今度は振り上げた腕をただ振り下ろしてもらいます。想像では「へたれパンチ」になると思いますよね。ところが実際にはミットの持ち手が腰を真下に取られるぐらいに強い力がミットを打ち抜くのです。


一体全体どういうわけでしょうか。体重を乗せた方が軽くて、ただ振り下ろした方が重いんです。


そこで何が行われているのか人にやってもらっているところを間近でじっくり観察したら、すぐに原因が分かりました。なんと力強く降り出された拳は、ミットに近づくにつれて急激にその速度を低下させています。つまりパンチの出しては当たる寸前にブレーキをかけているのです。


この行為は自意識主導の動作です。つまり40ビットしか使えないのです。意識で「ミットを強く打ち抜こう」と指令を出していたはずです。ところが実際に出したのは「強く打ち抜く動作の指令」ではなく「強く打ち抜く動作をしたと【私が感じられる動作】の指令」だったのです。


本当に強く打ち抜こうとすれば、両手足から体幹部から表層筋肉深層筋肉、各骨格、血圧、内分泌、さらにそれらのバランスなどを総合した協調性が必用です。そんな膨大なデータは意識できる40ビットの中には入りません。1秒で40ビットですから、一瞬の行為ならば10ビット以下かもしれません。


そこで身体は意識が命令したとおりに


強く打ち抜く動作をしたと【私が感じられる動作】の手ごたえ


を作ってくれているのです。そこで腕がミットに近づくにつれて、知覚しやすい腕や肩の「目的としている動作に必用でない筋肉」にも急激な緊張指令を出します。すると、ものすごい「パンチの手ごたえ」が生まれます。それは打ち抜くための筋肉とは無関係の「ブレーキ」の手ごたえなのです。


ゆえに本人は「凄い手ごたえ」とご満悦なのにかかわらず、横から見ているとミットに当たる直前に急激にブレーキがかかり、減速しながらミットに当たるのです。


おそらく人の自意識動作目的には自意識が自覚する「主たるタイトル」と無自覚につけた「副題」の二つがあるのであろうかと思われます。


つまり


主題 ミットを拳で打ち抜く
副題 そうとうの手ごたえがないと無理


となり、身体は意識の命令に対し、より具体性を持っている副題に敏感に反応する。だって自意識は結果よりもその方を求めているんだもん、ということでしょう。

あなたの一所懸命の努力というのが、中身よりも手ごたえを作る方の割合を多く持っていたとしたら、その努力が報われないのは当然なのです。


恐ろしいけどそういうことになりません?