やる気の速度

脳(意識)が身体をコントロールしていないという立場を取って書いてますけど、それでも「やる気がある」とか「やる気がない」という言葉で表現できるような心身の状態は感じるわけです。やる気はないよりもあった方がいいですから、その辺の体験を一つ書きます。


今日は「やる気」について書きます。やる気があるとかないとか言います。それは、意識が身体をコントロールしているという前提に立つからです。「やる気があるから実行できます、行動できます。行動できないのはやる気がないからです」という理屈です。


実行できないのは、やる気エネルギーが足りないのだ、増やすにはどうしたらいいんだろう、というのでモチベーションアップ講座などでかけたり、やる気の出る本を読んだりする。


しかし、この問題の本質は行動した質・実行した量が足りないということであって、脳(意識)の問題ではなくって身体(行動)が何をしたかの問題です。体の問題だというふうにとらえなおすと景色が変わります。


ある朝、なかなか起きる気がしない日がありました。身体が重く、起きるのもおっくう、布団を押し入れにしまうのも面倒、という感じです。「今朝はやる気がない」という言葉がぴったりです。たしかにとてもてきぱきと動ける感じはしません。


てきぱきと動けない。ふん、てきぱきとね。動けない、、、、訳ではないね。動くことはできてるわな。ゆっくりと。うん。ゆっくりなら動くんだ。ふーん、だったらどの速さなら動くんだろう。


上記のような自問自答の末、のろのろと起き上ってしぶしぶと布団を上げるという場面を、葛藤なく動ける速さを探して動いてみました。はたから見ればぎっくり腰でも起こしたかというような速度です。発見でした。気持ちいいんです。なんか「てきぱきと動けないストレス」をまったく感じずに動けます。


自動車で街中を走るのは持続40キロから50キロぐらいだとしたら、10キロ以下で走っているような感じです。しかし、体の感覚としては「快適」なのです。ここちよくって、ちょうどいい。


スローモーションでふとんを片付けたら、同じ速度感で歯を磨きにいきます。でも面白いですね。電車の動き出しみたいな感じです。徐々に徐々に加速していくのです。ものの10分後には「朝から絶好調です、てきぱき動けます」という私になっていました。


「この速度で動くものだ」という「合格基準」を外したら、その時の身体にちょうどいい速さというものがあったのです。そして、その時の身体にちょうどいい速さで動いていたら、ストレスもないし、またその速度というのは変化していくのです。


やる気がある、ない、というから解決策が見えなくなるのですね。あるとかないとかにこだわるのは脳の特徴です。やる気にちょうどあった行動の速度を見つけると歯車がかみ合い、しばらくたつとやる気を増やしたつもりもないのに、結果的に目的である「てきぱきとした日常生活の処理」が育ちあがっているのです。


頭が先に動きたい速度を決めてしまうから、簡単に解除できるストレスをわざわざ抱え込むことになると知った体験でした。脳はいきなり結果を出したがります。身体はその時その時の状況があります。いきなり結果を出す方に行かず、変化していける自分の回路を育てる。こちらの方が現実的で実用的で健康的だったのでした。


7月の進化体操講習会
「骨盤から身体を変えよう」
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