誰かとコミュニケーションを取ろうとしている時の意識の線は・・・

実はダミーだったかもしれない説1


だいたいに人とコミュニケーションを取ろうとしている時には視線を相手に向けているから、こちらに入ってくる情報も視覚を通した情報が圧倒的に多い。うわっと、目について緊急に気づいたことがあるので今から脱線します。


タイトルの内容から一時離れます。たぶんどこかで帰ってきますけど。


今唐突に気づいたことというのは、視覚=目=まなこというのは実に不思議な扱いを受けているということである。感覚器の一つ。視覚を担当する。つまり受信機である。受信機のくせに発信器、投光器のような扱いを受けている。


「射るような視線を感じて顔を上げると、そこには怒りに燃えた目をした姫川怜子が立っていた」なんて表現に誰も異論をはさまない。


「ダイソンの掃除機の先に長いストローのような吸い込み口をつけたかのような鋭い吸引力を感じて顔を上げると、そこには怒りに燃えた目をした半沢直樹が立っていた」


とは誰も書かない。しかし、実際の目の働き・機能から言えば、射るよりも吸い込む方が情報の流れとしては正しい。天空の城ラピュタのロボットのように、目からビームを出したりはしない。(目じゃなかったかな?)


何故、受信機である目が投光器ごとき印象を多くの場面で持たれるのか?書いている今現在不明である。この部分が分かれば表題の中身とつながりそうな気がする。ので脱線に乗って考察を続けるものである。(続く)