誰かとコミュニケーションを取ろうとしている時の意識の線は・・・

実はダミーだったかもしれない説2


視覚情報というのは、直進性と指向性が高い。さらに速度が速い。なんせ光速の高速である。音やにおいだとほぼ360度どこからでもくるし、拡散していったり、においなどなら風に散らされて曲がりくねったりするし(たぶん)、放屁のにおいなど音のあとに遅れてやってくる。


だから目は直進してくる光しか受けられないとも言える。途中にさえぎるものがあったら、見えない。つまり目と言うのはさえぎるものなく直線に飛んでくる光の光源(実際は反射だけど)にあるものだけがあることになる。


今見えているものと目の間は、常に直線で瞬時に結ばれているわけである。


よく耳にする「人は視覚情報から90%得ている」という説明はある意味間違いであると思う。人が自覚・認識する情報=「意識の表面に上がってくる情報は、圧倒的に視覚情報が多い」であると思う。自覚していなくても、身体はつねにすべての感覚器を休むことなく稼働させて膨大な情報を得ているというのが実際だと考える。


ということを述べた上で、だから人間は「判断」の多くを視覚情報に頼っている、ということになり、ますます視覚依存度合いは増していく。


視覚からの情報が「こういう状況です」に対して「こうするぞ」と行動する。音のようにどこが発生源が分からないこともないし、においのように発生と感受に時間差がものすごくあったりもしないからおおむね賢明な選択だと言える。使いやすい。


「行動というのはおおむねキャッチした情報に対する反射である」という具合に仮定すると、人の行動はおおむね見えたものに反射するということになる。あれを取ろう、あれをよけよう、あれを食べよう、あの人を避けよう、あの人を攻撃しよう。


視覚というものが徐々に深まりつつある二回目。さらに考察は続きます。