誰かとコミュニケーションを取ろうとしている時の意識の線は・・・

実はダミーだったかもしれない説3


このブログは、「人は頭脳で判断して意識的に行動していると信じているが、実は先に身体が動き始めているのに、脳が後追いで行動の命令を出した記憶を作って自分の中で、整合性を取っている」ということをおおむね正しいのではないか、という仮定のもとに試行錯誤した結果を書いている。


人と他者とのコミュニケーションを試みる時、一般的な「私の意思が私の意思決定の主役である」という考え方を無意識に採用している場合、コミュニケーションに使う部位は、意思決定にかかわる近辺周辺になる。つまり、私とあなたの関係というのは、私の頭とあなたの頭の関係ということである。ゆえに相手の表情を観て、顔近辺に向かって脳で組み立てた「言葉」を発するという形で成立している場合が圧倒的に多い。


相手の目を見ずに、顔を背けて会話するという場合は、「あえてそこを避ける」という形で意思表示しているのであるから(あなたとはもう終わりなの、というような場合ね)やはり、頭部顔面コミュニケーションの一環である。


人体の中心は、頭部頭脳となんとなく思い込んでしまっているが、人体地理の立場から言えば、頭部と言うのは北?のはずれの辺境の地である。人体歴史学的には、新しすぎて伝統がない大脳新皮質が、身体全体の中心機能であろうはずがない。人体地理的に見れば中心は骨盤部位で、前からみれば臍下丹田、歴史的に見れば腸は脳より古く、しかも脳と腹部では神経細胞の数だけ取ればたいして変わらないという。


かかる事実に基づいて、骨盤を中心とした整体の見直しを行ったため、ここ数週間、人の骨盤、自分の骨盤ともに、観察し、感じ、意識を置き、実際に動かし、動きの調整をし・・・というぐあいに骨盤へのアクセス頻度が桁外れにあがった筆者である。


電車男」ならぬ「骨盤男」と化した筆者に何が起こったのか?(つづく)