人の家なら一日情熱的に片付けができるのに

お盆明けに起こった土石流水害の片付けがいまだ終わらない兵庫県北部の丹波市。その水害現場に、この二か月週末になるとせっせと通っている知り合いがFacebookにもらしていた一言。


「他人の家ならこんなに真剣に片付けができるのに、どうして自分の家のかたづけはいっこうにはかどらないんだろう」


同じ思いである。同じようなことはほかにもある。読むという行為は同じだけれど、教科書は眠くなり、池井戸潤宮部みゆきなら徹夜してでも続きが読みたくなる。


資料その他の片付けは飽きるが、テレビゲームのようなものなら飽きずに延々できてしまう。1キロ向こうのスーパーに歩いていくのはおっくうだけど、山歩きなら3キロで頂上なんて物足りない。


する必要があるけれども、はかどらないことをする時に、どうやってゲームや読書や山登りやボランティアをしているかのような回路を作動させるか。自分をだますか。