458話 「噛む」を咀嚼する

この原稿を書くにあたって、「噛む」ということを考え直してみた。

何故、噛むと満腹感が早く訪れるのか?ということである。

口に入れて咀嚼すると、唾液が分泌してどうのこうの、という生理学的な解説を開陳したい、というのではない。解説しようと思ったって、さほど詳しい訳ではない。よく知らない。(ごめんなさい)それ以前の問題である。


何故咀嚼するのか、と言う行為を現代人ではない視点で考えるとどうなるかってことである。そういうことを良くかみ砕いて考えてみようというのである。


人はいろんなものを食べることができる。草食・肉食を兼ねている。産地は海山空川、調理は和洋中仏印南米地中海なんでも来いである。


「男食い」なんて言葉があって、その昔日活ロマンポルノという微妙なジャンルを扱う映画群に「カマキリ婦人の告白」なんていう映画あったりするが、これは人間の雑食性を検討しようという本題とは違うような気がするので、ここでは触れない。


現代人であれば、口に入れたものを噛み噛みして、二つの要素を判断すれば足りる。


「うまい」か「まずい」か。


しかし、自分がかつて縄文人なりそれ以前の人間であったときのことを思い出してみよう。(って筆者も覚えてないけど)すると、さらに要素が加わることに気づく。


「やばい」

である。

いろんなものが食えるということは、常に新しいものを開拓して、生命を維持していたと考えられる。食べないと生命を落とすが、食べることで生命を落とすことだって考えられる。ということは命がけで食べていたのである。極端な場合、毎食ごとに「ロシアンルーレット」をしていたような場合だってあったかもしれない。


これは食えるかどうか、五感をフル作動させて判断したに違いない。見た目、臭い。香り。歯触り、硬さ、舌触り。


「うまい!」  「ちょっとまずい」  「げっ、やばい、ぺっぺっぺ」


最後の関門が口である。ここで「ごっくん」とやったが最後、吸収してしまう。


食べるのは、血肉にするためである。また生命維持のためのエネルギーを獲得せんがためである。表現を変えれば「この物体は我が陣営に味方するかどうか」を判断していると言える。同化できるかどうか、という情報収集を最終的に口でしている。


むろん胃袋に入れた後でもその判断は続き、食えると思ったのに腐っていた、という場合は「げろげろげろ」と我が陣営からはじき出される。


しかし、いちいちげろげろしているのもたまらないから、願わくば口でほぼ間違いのない線を出してしまいたいのが人情である。


かように考えれば、口の中および周辺には多大な情報収機能が備わっていると見て間違いないであろう。もちろん口と隣り合わせの鼻と協議しながらというような情報処理を行っていることも予想できる。舌だけでなく口中の粘膜なども総動員されていたに違いない。だって命がけなんだから。