ぞうきんがけ柔軟法

皮膚というのは、柔らかい。


背骨というのも、実はとっても柔らかい。


それを体感実感していただきたいな、というのが一日講習の今日。


自然な状態、本来の状態ではこんなに柔らかい体が、どうしてこんなに人間だけは硬くなるのだろう。ということで突き当たるのが、意識の問題。


使い方の勘違いというものがある。


そこに手をつけないと、皮膚を動かすことの効果も、骨を揺らすことの効果も、最大には発揮しません。もったいないです。


そこに手をつけるということは、日常の立ち振る舞いのパターンを少しずつでも置き換えていくということになります。


できれば、そのあたりもやりたいなと思っていたのが今日の一日講座。


毎週のクラスでも練習できている「皮膚」は後回しにして、「関係性を軸に、その行為に体の部分ではなく、体の全体が少しでも多く参加していくように」ということを練習しました。


練習に選んだのが「掃除機かけ」と「ぞうきんがけ」です。


エア・ギターならぬ「エア・そうじき」(だって、道場には掃除機は一台しかないし)と「エア・ぞうきん」をせっせとやりました。


ぞうきんがけ(そうじ機かけ)の質が上がると、愉気(気の手当)の質が激変するのです。これは当てている方も、当てられている方も歴然と解ります。


そして、からだの柔軟性も高まるんです。


硬い体は、ストレッチをして硬い部分を伸ばしてやらないと柔らかくならない、というわけでも無いようなのです。



全身で動くと硬くなりません。本来の柔軟性がよみがえります。でもそれは「全身でやろう」としてもなりません。


床とぞうきんに、自分がどこまでつながっているのかを、それこを手のひらからセンチ単位で正確に確認していくことで、少しずつ「全身」に近くなっていく。


そういう、ぞうきんがけとの向き合い方ができてくると、すこしずつ変わってくるのですね。


うまくいくと、前屈なんかぐぐぐぐっと柔らかくなります。


でも、その後に、「いつものぞうきんがけ」をやると、とたんに硬くなります。


だから、「心をこめてぞうきんがけをすればいいということですね」でも「一生懸命そうじ機をかければいいということですね」ということでもないのです。


それらは、「今の私のパターン」の範囲からは出られません。


自由に選択しているようで、その実「きまった選択肢のいくつかから無意識に選んでいる結果」が、今の体の凝りこわばり硬さと一致しているのですから、それとは違うパターンに乗り換えられなければ、からだはそこまで変化しません。


「ぞうきんがけがいい運動になって、血行がよくなるぐらい無意識に動いちゃった結果なんですね」でもないんです。


そういうことを、一日がかりでやりました。


そして、そういう「そうじ機やぞうきんと一体化した手」と意識の状態のまま、皮下チューニングをやりあいすると、これまた響き具合が格段に上がります。


骨の「バランス調整無意識運動」もよりスムーズに出てきて、また全体が連動します。


「だから、どういうぞうきんがけをしたら、そうなんねん?」


という質問自体が、「そういうぞうきんがけ」から確実に遠ざかることのできる方法です。


「こういうぞうきんがけをしよう」と意識してやろうという思考と行動のパターン自体が、その時の意識に応じたこわばりを作るのですから。


私のどの部分までがぞうきんとつながっているのかを、ひたすら正確にキャッチする。


そこのところをつかめば、日常のあらゆる「単純反復運動」が、何よりの柔軟法・弾力体回復法になります。