感覚の体育と筋肉の体育1
新しく「感覚の体育」というような方向性が浮かび上がってきた感じがする。
「筋力、瞬発力、筋持久力」という体育のとらえ方は分かりやすい。
なんのための体育があるかといえば、より快適に生きるためだと言える。よりよく生きるために「体を育む」。
生きるというのはどういう現象かと考えていくと、他者とかかわるこという一面が圧倒的に大きいことが分かる。他者の中には気候や環境から動物、人、道具、食べ物など多様なものがある。そういった他者への反射反応対応、それらの優劣が生存の快適さを増減する。
高温低温乾燥多湿などに、発汗震え飲水などで無意識に対応している。熱中症なども対応が追い付かなかった場合のオーバーフローとしてとらえられる。
人間関係の質はストレスと多大に関係するし、道具の扱い方も効率や愉しみと比例する。同じ食べ物を食べても、痛んでいれば吐き出す、あるいはにおいをかいだだけで食べない、という反応の優劣で何事もない人と食中毒で倒れる人に分ける。
たいして栄養のないものを食べて丈夫な体にする人もあれば、健康食に囲まれて不健康な人もある。
やはり生きると言うことは、他者との反射反応対応のことととらえていい。
やけどをしそうになると、どんな人でも慌てて手を引っ込めるという万人共通の反応もあれば、ある人には天敵にように感じられる人が、別な人にはいい人のように感じられるなど個人差があるものもある。
手を付けるとしたら、個人差のある対象との関係改善ではないだろうか。
体育の中のメインになる「運動」ということを考えてみる。
頭で考えて体を動かすという見方は捨てた方がいい。実際には頭よりも体の方が先に動き出している。自分を動かしていると思っている意識は、多くの場合動きに遅れて命令した意識の記憶をつくってつじつまを合わせているということが脳の研究ではすでに明らかになっている。
半信半疑でも4時間で5倍以上速くなった PM速読
7月12日の日曜日の東京でのPM速読講習会、3名でした。
もろもろの事情で講習時間は1時間短縮。
でも結果は、
●Hさん
420字が4600字→11倍
●Mさん
680字が3610字→5倍
●Aさん
750字が4290字→5.7倍
(数字は一分間の読み取り文字数ペース)
です。
講習会の回を追うたびに到達点が高くなっている気がします。いい結果がさらにいい結果が出るようになってきています。
当日5倍速くなっMさんは、翌日の進化体操一日講習にも参加だったのですが、PM読書を電車の中でしていて、あまりに本に集中できてしまったため、下車駅を通り過ぎて終点まで三駅乗り過ごしてしまったそうです。(笑)
二か月前に受講されたSさん。睡眠が深くなった、PM音を聞くだけで落ち着くなど波及効果を報告してくれました。
「テンポ70ですからそんなに速くはしていないのですが」と言いながら、「通勤の行き帰りだけで一冊読めました」とのこと。
こんなふうに、受講後にPM読書習慣が続いている人が多いのもPMの特徴。嬉しいです。講師冥利につきます。受講済みでなんとなく中断している人、ぜひPM読書習慣を復活させてじわじわと上達し続けてください。
私も今日、デスクワークと用事の合間に、原発と放射能関係の本二冊と小説一冊読みました。
★PM速読講習会★
2015年11月29日(日)*開講決定です
13時〜17時
12月13日(日)*募集中です。3名の申し込みで開講決定です
10時半〜15時
会場:新大阪健康道場
受講料:進化体操経験者 20,000円
まったく一般 30,000円
【お申込み・お問い合わせ】
hirofumimeuto☆docomo.ne.jp
☆を@に変換してお使い下さい。
実用の陰陽論
進化体操ブログで「実用の陰陽論」というテーマを立てて記事を書いています。
詳しくはこちら→http://ameblo.jp/sinkataisou/theme-10091003948.html
両極を想定して間に入ると、いままでと景色が変わる、体が変わる、というものです。
前後、上下、未来・過去、好き・嫌いなどなど陰陽がありますね。
未来と過去ではたとえばどんなことをやっているかというと、
〇いつか実現したいことを手帳に列挙して何回も読む。実際には全部で22項目を書きだした順番で覚えてしまっているので、通勤途上などに思いだすという習慣になっています。(陰陽の陽 未来)
〇実際にやったことを逐一メモ帳に終わるたびに書きだす(一日100個を目標にしていたら、調子よくなって最近は200を目標に150個ぐらい書きだしています。やったこともアイデアやプランも一個に数えます)(陰陽の陰 過去)
こうすると、目標に向かって実行することも徐々に方向づけされていきますし、また目標もより実現したいことに修正されて行きます。
そういうのがたとえば「未来」と「過去」という両極の間に入るという例です。
もう一つはいささか抽象的ですが「150年計画を立てる」と「明日死ぬ」の間に入るという設定です。
この150年計画というのは野口晴哉先生が何かに書いておられたもののうろ覚えの記憶です。120年だったかもしれません。「10年や20年で達成できるような目標を立てるから人間がみみっちくなるのだ」というような文脈で語られていたような記憶があります。
実際に野口先生は、整体のある生活を三世代ぐらいを想定されていたそうです。整体を受けている人から、整体生活で育っていく子どもができる。そういう子ども同士が結婚すると、三世代後にはより丈夫でたくましい世代が生まれる。たとえばそういう発想で整体普及をされていたらしい。
ヨガの指導者からスタートして、ご縁あって野口整体を学ぶ機会にめぐまれ、20年ほど右往左往していたら「進化体操」「とろける整体」「PM速読」という自分でもけっこう納得のいくものが生れてきました。なので普及のシステム作りとか後継者というようなことがテーマにあがってくる昨今です。
そこに「実用の陰陽論」というものが浮上してきた。
進化体操普及を5年後10年後を見すえてやるのと、150年後を見すえてやるのとでは実行する中身が変わってきます。
ただし、両極端を設定すると、実は一致することも多いのです。
150年後に普及させるにはどうするかというのと、明日死ぬけどどうする?という二つですね。
陰陽両極から見えて来た答えは「出し惜しみしないで、どんどん公開しろ」ということでした。
確かに。
3年後ぐらいを考えてあまりにきちっとした仕組みを作ってしまったら、自分が抜けたとたんにかえって消えてしまう可能性があります。
仕組みのなかで徐々に公開していくぞと出し惜しみをしていても、しかるべき人のところに届かない。
しくみをつくって組織の内部でレベルを上げようとしても、かえって私以上のレベルの人が出て来なくなる。そりゃお粗末だ。
特定の後継者をつくらなくっても、何か続いていくようなそんな視点で一つ一つの行動を引き出していくのが一番。だったら、見つかったもの、まとまったものはそのたびに公開していこう。
そんな景色が見えている今日この頃。
気分的には非常にすっきりしますね。
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ブレーキをはずすいろいろなアプローチ
進化体操/とろける整体/PM速読
http://ameblo.jp/sinkataisou/entry-12040928579.html
順番が違う 先人の教えの身に付け方
集中力をつけようとする時の自分がいる。実際に集中できた時の状態がある。実際にできてからその景色を見て見ると、予想していたものとは違った。
私が「こういうものだ」と思っているものは、少しでも身についてくるとことごとく見当はずれである。
今「見当を付ける」と書いて、まさしくこれがあかんのやと気が付いた。
できない私がつけた見当が、ほぼ確信をついている可能性はほとんど低い。ないと考えた方がいい。私の見当と先人の精進の結果がかぶっていると考えるはなんという傲慢さだ(笑)
だけども、何らかの見当がないといけない。第一歩がないと進むことはできない。
だから見当をつけるのだけれども、それは「たぶんこういうことだろう」という見当であってはならない。そこが正解である可能性はほとんどないが、それをどちらに動かした時に、正解または得たい状態に近づくかを探すために仮に置くだけである。
たとえば、心身を統一すると、押されてもびくともしない、ということを心身統一合気道の藤平光一先生が示されている。臍下の一点(一般に言われている丹田よりもやや下)に無限に心を集中しているとそうなる、と説かれている。
レベルの高低はあるけれども、そうやるとたしかにやらない時よりも強くなる。知る価値はある。
けれども、こちらのレベルは低いレベルで伸び悩む。藤平先生の教えは(こうやればこなるという指摘)正しいけれども、私の取り組み方は適切ではないということである。
何故伸び悩むかというと、藤平先生指摘の一点を正しくとらえているのではなく、たぶんこのあたりだろうと独り決めして、あとは集中したつもりになっているだけだからだ。たぶんずれているのだ。集中の密度も足りないのだろう。
進化体操の一人練習のために、床と触れあっている足に感覚を落としていくという練習をしている。
ひらたく言えば「どっしりと重心が落ちた状態をつくる」のである。
どっしりと重心が落ちて、びくともしないだろうと思っている状態を作る。しかし人に押されると簡単に崩れるし、無表情を装っても内面は完全に動揺し、平常心は崩壊している。
取り組む方向性を変えてみた。重心を下げようと思うのではなく、床下何センチの一点を意識した時に、もっとも安定した感覚が生じるかという練習方法である。各段にうまくいっている。
人により20センチぐらいから、50センチを超える人までいろいろである。もちろん正確に床下にメジャーを伸ばして測ったわけではない。本人の身体に確かに安定するという結果が出た時に、本人が35センチと感じる。35センチを意識すると確かに望ましい変化が生じる、とりあえずそれでいいのである。
重心が上がるよりも下がる方がいい。腰を落とせとか重心を下げろということもたぶん望ましい方向性を指している。だからといって自分が「これが重心がさがった状態だ」というものを先に作らない。
どの重心点と結びついた時にもっとも「重心を下げた」と言ってもいい状態が生まれたかを探していく。こういう取り組み方が先人先達の教えを活かして使おうという時に効果的である。
実際の動画で見るとこんな感じになります。
http://ameblo.jp/sinkataisou/entry-12047290125.html
一番最後と一つ前の動画です。
正解だと思っているものを先にやってしまうと、変化は訪れない。はずれだと承知の上で仮置きして、そこからもっとも望ましい変化が生じるものを探していく。こういう順番なら凡人が先人に近づいていける可能性は高くなるようである。
だから集中力は身につかない
集中力をつけようと思っている際の勘違いって何だろう?
勉強でも仕事でもスポーツでも芸術でも「集中力が大事だ」と言われる。
最近事務仕事やPCワークも量がはかどっている。ありがたいことである。進化体操も、没頭して長時間やり続ける度合いが高くなっている。つまり集中力が発揮できている状態である。
うまくいっているから、ふと感じた違和感がある。
「集中力を付けなければいけない」という文脈で語られる時の「ちから」につける名前として「集中力」という呼び方がふさわしいのか、という疑問である。
筆者の仕事がはかどっていると書いた。必要な分量のデスクワークや原稿執筆がこなせる日が多いという意味である。
そこで「集中力」の登場である。
集中力というからには、一つのことに集中している力、集中できる力である。一方で筆者のデスクワークというのはものすごく細かい。発信したい情報ごとに分けていったらブログは5本あるし、メルマガは4本ある。個別で整体を観ている人とのやりとりもあるし、講習会の受け付けなども自分でやっている。手を付けると細かい仕事がものすごくたくさんあるのである。
一つのことだけに没頭していたのではまったく進まない。なのでこまごまとある仕事をさらにものすごく細かく分けた。まとめたのではない。さらに分けたのだ。
そそしてその細かいひとつひとつがさらい部分的にでも進んでいくようにしたら、ようやく量がこなせるようになったという実情がある。分割した細かい公私ともどもの用事を数えたら一日に100を超えている。
だから、仕事がはかどるようになった状況にふと気づいて、
「集中力がついたなあ、、、んっ、これって集中力と言っていいんだろうか?」
一つ事に集中してないじゃん、というわけである。
一つことに着手してふっと気がそれたらそこまでにして、できそうな別のことにさっさと乗り換えて持続するようにしたら、仕事がはかどったのである。単純な集中力ではない。敢えて名前を付けるなら
「集中状態連鎖的持続力」である。
「集中力をつけなきゃ」という日本語で考えると、一つ事に集中できないとその時点で失敗である。
集中状態連鎖的持続力というネーミングであれば、はなからいかにして継続させるか、持続させるかという部分が視界に入っている。
だいたい集中力が問題になるのは「途切れた」り「続かない」時である。つまり集中できないということよりもそれを続けられないということで困っているという文脈で用いられることが圧倒的に多い。すくなくとも私はそうだ。
禅僧や瞑想家のように「ただひたすらほかに何もしないで一人でやる」という人なら別だが、そんな状況よりも「やらないといけないことはたくさんある、次々に押し寄せてくる」という人の方がこのブログの読者にも圧倒的に多かろう。
すると、やはり必要なのは集中力ではなく、連鎖的集中状態反復継続力である。次々にあらたな対象に必要量集中するという行為を、繰り返すことのできる力量が問われるのである。
集中しなきゃ、という設問に対する工夫と、繰り返しの集中回数を何回まで伸ばせるかしら、という設問では答えは変わる。全然違う。
あくまで私の場合は必要なのは「個別事項連鎖的集中状態反復継続力」である。(なんか最初と名前が変わってきた)
あなたにとって集中力(あるいは必要な力の名前)の名前を実態に合わせて変えてみれば、対処法はおのずと見えてくるのではないでしょうか?
自分に必要な状況になんて名前を付けるのか?
そこはご自分で探しなはれ。
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からだとこころのブレーキをはずす各種講座
進化体操/PM速読/とろける整体
7月〜8月予定
http://ameblo.jp/sinkataisou/entry-12040928579.html
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「野口晴哉を読む」整体入門1
- 作者: 野口晴哉
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2002/06/01
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昭和の終わりごろ、野口整体の創始者である野口晴哉先生の著作を手に入れるのは至難の技でした。
「気の世界」にまつわるムック本でその存在を知り、一部の思想や技法と出会いました。何度も読み、何としても詳しく知りたくなりました。でも著作が手に入りません。
というのは、野口晴哉先生は数十冊の著作は残されているのですが、当時はすべて社団法人整体協会の内部出版(全生社という名前でした)されたものばかりだったからです。
続きを読む
http://ameblo.jp/itakunaiseitai/entry-12045413083.html
症状に協力するという考え方
先日、東京で毎月一回の「進化体操ととろける整体講座」に欠かさず来られている方からメールがありました。
「おはようございます。Hです。
先日の咳は治まりました。
その時の体験談です。
普通に呼吸すると咳が出て、クラゲ体操の身体(※の質感と動き)にすると出ないのです。
座っていたり、仰向けで寝ている時も。同じ呼吸なのに…
最小限か全身を使うかの違いでしょうか。
無理無く全身を使って楽なのは助かりました。」
※( )は筆者が補足
というメールを頂きました。
咳というものを「治さないといけないもの」「消さないといけない異常」と見るかどうかで対処が変わります。
咳そのものを「体を体が平常に戻すための働き」と見る見方が整体にはあります。
咳を「異常だ」と見れば「咳止めを飲む」になります。症状は消さなければならないことになりますから。
咳を「体を平常に戻すための働き」と見ると、協力すればいいということになります。そのためには咳の目的を探る必要があります。
咳の目的は、胸部のうっ血を散らすことになると見て大筋間違いはないでしょう。シンプルに考えればいいのです。冷えて固まって流れが悪いのと、温まって弾力があって流れがいいのと、どちらが病気になりやすく、治りやすいかと考えればいいのです。
すると、せっせ咳を出すことで、背中や胸、肺・呼吸器周辺の硬直をゆるめて、弾力を回復させ、流れを良くして回復に向かおうとしている景色も目に入ります。
咳の記憶をたどると、胸にぱーんと響くような咳は出していて気持ちよさがあり、のどだけにとどまる咳は「空咳」などと言われて、いつまでたってもおさまらない。出したい咳が出ないから、なりたい状態に回復せず、いつまでも出てしまうというストーリーが見えてきます。
だから、整体的には咳の働きに協力するというのが手当てになります。
肩胛骨の間(胸の裏側になります、肺の後側にもなります)から首の付け根をゆるめるとか、鎖骨窩(さこつか=さくつの上のくぼみ)を蒸しタオルで温めるなどが伝わっています。
メールの方は、くらげ体操というもっともシンプルな弾力を引き出しながら呼吸をしたのですから、咳を使って生命がやりたがっていたことをくらげ体操という運動で代行したと言えるでしょうね。だから咳の出番がなかった。
くらげ体操呼吸法をしたら咳がおさまったという背景には、そういう状況があるのではないかと思うのです。
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進化体操/PM速読/とろける整体
6月〜7月予定
http://ameblo.jp/sinkataisou/entry-12040928579.html
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