体癖のこと、少し

新大阪健康道場では、レッスン受講の方の背骨を観てからレッスンを始めるという昨日のお話の続きです。


背骨〜骨盤のをなにを観るかというと、弾力・形状・椎骨の転位(ゆがみの方向)、硬直部分や弛緩部分、もっとも楽な姿勢・体癖などです。


体癖というのは、野口晴哉先生オリジナルの人間分析で、感受性や運動特性で大ざっぱに人を12種類に分けるというものです。


名著「整体入門」(ちくま文庫)にも多くのページを割いて書かれています。


連日100人を越える人を整体指導される中で、ある共通の人のタイプを見つけだし、それが増えて体癖12種となりました。


それぞれの体癖の特性に関しては詳しく論じられていて、目からうろこの人間論なのですが、一つ欠点があります。自分がどの体癖か分からないという部分です。生年月日を知らないで星占いを聞くようなものです。生かしようがない。


過去12年にその段階での研究成果をもとにして何回か体癖講座を開いたことがあります。同じ体癖の人をグループにすると本当におもしろい。


ビル三階にある道場から、外の景色を見てもらいますと、体癖ごとにぜんぜん違うものを見ているのです。


上下型のY田君やO合さんは、上ばっかり遠くばっかり見ているのです。目の前はマンションビルなのですが、ビルとビルの谷間の向こうの方とか、首をねじ曲げて無理矢理空を見上げてきれいですねとか言っている。


前後型のO澤さんやらMやんや私は、動くものしか見ていない。視界に歩行者が入ってきたら歩行者を、そこへ車が通りがかれば車を、人も車をいなければ床屋の看板がくるくる回っているのを見ている。動いているものだけが存在しているのです。


今これを難波の若松で書いているのだけれど、喫茶店の店内で視界に入るのは動いている人だけ。止まっているものは関知しない。


開閉型のグループは、私から見れば理解不能。向かいのマンションビルには窓もあれば、ベランダの隙間もあれば、目の前には電線がいっぱい張られていてぶらぶら揺れているのですが、あろうことか、一切なにもない壁面の白い壁を見ているのです。N川さんもそうだし、S崎さんもそうなのです。


動くものが存在しているもの、という私の感性からすれば、模様もなにもない壁面を見ているというのは、見ていないも同然。こちらから見ていて退屈ではないかなと思うのだけれど、なにもない壁をひたすら見ています。


上下型の奥さんのことを野口先生は


「ふだんの動作を見ていると、考えることはあっても行動しない。エネルギーが余るとますます考えるようになって、かえって行動しなくなる。空想ばかりしてうわのそらだ」


という意味のことを書かれています。



上下型グループが遠く・高くばかりを見てしまうという運動特性を注目すれば、それは理解できるのです。だれでも空想するときは遠い目つきになるのですから、ふだんからそれが運動・行動のベースにある上下型がすぐに現実からかけ離れたことに心が飛んでいっても、おかしくはないのです。


ただし、野口先生も「この体癖はあくまでも私の観た体癖で、ほかの体癖の人のまとめたものもあればいい」ということを書かれています。


野口先生は、ご自分の体癖を開閉型と言われています。つまりなにもない壁を楽しく眺めることができるグループだと言うことです。


何もない壁を楽しく眺めているということは、対象への集中する密度が高い。対象と一体化しているのです。そういう感受性の人から観れば、上下型は「上の空(うわのそら)」に見えるということだと理解する必要があります。


ところが、野口先生の奥様が、生前の野口先生の言動をつづられた「回想の野口晴哉 朴歯の下駄」などを読むと、妙に感情移入をされずに客観的な文章で、しかもその時々の情景を生き生きとよみがえらせて、しかも野口先生の言葉がたぶんかなり正確に書かれています。どういう現場でその言葉を言われたかという背景がわかりますから、ある意味野口先生の言葉そのものよりも真意がつかみやすいところまであります。


上の空どころか、頭脳明晰です。


およそ野口先生の体癖に関する記述を少しうがった読み方をすれば、上下型一種は上の空で、左右型三種は食いしん坊で、ねじれ方七種は喧嘩ばかりして、前後型五種は打算ばかりしている。


偶数体癖はさらに悲惨で、行動すらできなくて、上下型二種は考えようとすると胃が痛くなって、左右型四種は感情が高ぶると食えなくなり、捻れ型八種は喧嘩に負けてから強がり、前後型六種は動けないくせに口ばかり達者だということになり、誰も自分のことを偶数型体癖だとは思いたくなくなるように書かれています(笑)


家内は上下傾向があるのですが、一緒に車に乗ると、ぜんぜん違った距離を観ています。


前後型で距離間の短い私は、前の車との車間距離には敏感ですが、言い換えればすぐ前の車のテールランプぐらいしか見ていない。家内はそろそろ減速しろとうるさい。


なぜかというと、家内は三つぐらい向こうの信号まで見ている。そういう距離間で情報の集め方をしていますから、遠くから順に赤になっているから、そろそろブレーキをかけなければならないということになるのです。



私には、そういう長い時間の感覚が弱い。家内は長い。長いおかげで、家内は子どもが生まれて育ったら毎年1歳ずつ年をとって、18年たったら受験をする、というようなことまでちゃんと考えていたので、我が家は破綻しないでやってこれています。とてもうわのそらには見えない。


お互いの体癖を知ることで、もっと仲良く誤解なく生活でき、また自分の長所をのばしたり、短所をカバーすることに使えます。



多くの方が生活や仕事の取り組み方の改善に役立てているTY式にもぜひ体癖を取り入れて改良していきたいと考えます。


行動を細かくチェックするという方法そのものが前後的なのかもしれない。


ただし何をするかではなく、何をやったかという物差しを当てることは、自意識に振り回されないための方策なので、現代人にとってはどの体癖の人でも有効だが、その運用方法を体癖別にまとめていきたい。



細かい行動がテンポよく続くと快感の私は、一日の記録項目が120を越えた日は「なかなか良かった」ということになるけれど、上下のつっくんは30を越えると充実しているらしい。おそらく一つ一つにかける時間が私よりも長い結果だと予想されます、観察対象者をもっともっと増やさないと断定できませんが。


新型たこ焼きTY式で「調子がいい」と言っていた開閉型のNさんの詳細を聞いてみると、机が片づいた、本棚も片づいた、車もきれいになった、バイクもピカピカだ、洗い物もしている、洗濯物も片づけますという具合に、ひたすら掃除ばかりやっている。


ご本人はしあわせそうだったけど、仕事面にも成果がでないとおもしろくない前後型の私は、すこしばかり対象を広げるようにアドバイスした結果、ヨガ教室の会員の方アンケートの着手〜実行、教室のチラシ配布量を無理なく増やせたなんてことにつながって、教室の生徒さんが増えたそうです。



そういうことで、すべてのレッスンで授業前に参加者の背骨を見ているというお話でしたが、体癖を観ると言っても、私の観察の精度だって完全ではない。



生まれつきのまず変わらないものが体癖で、そうでないものはつどつどの体勢・体調と混同している場合もあります。体の波で、時期によって裏にある体癖が表面化してくる場合もあります。だから何百人何千人これからずっと観ていくことになります。


さしあたって、次のTY式も体癖の割り出しを加えて進行しますので、お楽しみに。19日の日曜日の1時〜5時です。申し込みは新大阪健康道場のHPからどうぞ。

http://tsuda-seitai.petit.cc/


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【お知らせ】


京都教室 出町柳の「かぜのね」(金曜日10時15分〜11時45分)では、自然体チューニングのみ行っていましたが、レッスン修了後の会場の時間延長ができるようになりましたので、整体希望の方は受け付けられるようになりました。会場の貸し出し申し込みが必要なので、ご希望の方はお早めにお申し出下さい。